No.2新着 平安の文学(794〜1185年) かな文字が女性の物語と日記を生んだ
9世紀に万葉仮名から平仮名が生まれ、905年の古今和歌集で公の場にも使われるようになった。平仮名で日本語をそのまま書けるようになったことで、物語と日記の文学が育った。10世紀後半から11世紀には、宮中に仕える女性たちが源氏物語や枕草子を書き、文学の中心になった。
本文と出典
あらまし
平安時代の文学を動かしたのは、平仮名という新しい文字である。漢字で書く正式の文章は男性官人の世界のものだった。一方、平仮名は私的な文書に使われ、「女手(おんなで)」とも呼ばれて低く見られていた。しかし平仮名は、日本語の話し言葉に近い文をそのまま書ける。この文字で、作り物語、歌物語、日記、随筆という新しい形が次々に生まれた。
主なできごと
・894年 遣唐使の派遣が停止される(最後の派遣は承和年間=834〜848年)
・897年 宇多天皇の自筆『周易抄』で草仮名と片仮名が使い分けられる
・905年ごろ 醍醐天皇の命で古今和歌集が奏上される。最初の勅撰和歌集
・935年 紀貫之が土佐から京へ戻る旅を土佐日記に記す
・974年ごろ 藤原道綱母の蜻蛉日記(954〜974年のできごと)
・1001年ごろ 清少納言の枕草子(年代は確定していない)
・1008年 紫式部日記に源氏物語とみられる冊子づくりの記事。源氏物語の文献上の初出
・1130〜1150年ごろ 今昔物語集が成立したとする推定がある
平仮名と古今和歌集
平仮名は、万葉仮名を草書体でくずしていった草仮名から生まれた。8世紀末の正倉院文書にすでに草仮名が見られ、951年ごろには独立した文字体系になっていたと考えられている。転機は905年ごろの古今和歌集である。醍醐天皇の命で、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4人が撰者となり、全20巻・約1100首を集めた。仮名で書いた仮名序と、漢文の真名序の二つの序文を持つ。天皇の命で作る歌集に平仮名の序文を置いたことで、平仮名は公の文書に初めて現れたとされる。
物語と日記の始まり
竹取物語は、9世紀後半から10世紀前半に成立したとされる。作者はわからない。源氏物語の絵合巻は、竹取の翁を「物語の出で来はじめの祖」と呼んでいる。伊勢物語は、在原業平らしい男の和歌を中心に短い話を連ねた歌物語で、定家本で125段、多くの段が「むかし、男」で始まる。
日記文学の先駆けは土佐日記である。紀貫之が土佐国司の任期を終えて京へ戻る旅を、女性が書いたという体裁で記した。冒頭は、男が書く日記というものを女の私も書いてみる、という趣旨の一文である。男性官人の日記は漢文で書くのがふつうだったため、平仮名で書くには女性という仮の書き手が必要だった、というのが通説の説明である。
女性の書き手が中心になった理由
10世紀後半から、書き手の中心は宮中に仕える女性(女房)に移る。藤原道綱母は、夫藤原兼家との結婚生活を蜻蛉日記に書いた。女性の日記文学の先駆けとされ、源氏物語にも影響を与えたとされる。
背景には摂関政治がある。藤原氏は娘を天皇の后として宮中に入れ、天皇の気持ちを引きつけるために、教養のある女性を選んで女房としてそばに仕えさせた。女房には受領など中級貴族の娘が多く、中級貴族は藤原氏に取り入るため娘の教育に力を入れた。こうして清少納言や紫式部が生まれたと説明される。清少納言は一条天皇の中宮定子に、紫式部は藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた。后どうしの競い合いが、それぞれのそばにいる女房の文才を求めたと考えられる。
枕草子は約250〜330段からなり、本によって段数が違う。源氏物語は全54帖で、紫式部は宮仕えのあいだも道長の支援のもとで書き続けたとされる。更級日記の作者は、源氏物語の一部しか読めず、最初から全部読みたいと願ったと書いている。11世紀にはすでに、物語を待ちわびる読者がいたことになる。
院政期の説話
平安末期には、今昔物語集が編まれた。全31巻で、巻8・18・21が欠けている。天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三部に分かれ、各話が「今ハ昔」で始まる。原本は片仮名まじりで書かれている。貴族だけでなく、武士や庶民、盗賊まで登場し、次の中世の説話文学につながる。
評価の分かれる点
遣唐使の停止(894年)によって中国の影響を離れ、日本独自の「国風文化」が生まれた、という説明は広く知られている。しかし、遣唐使はそれ以前から派遣が減っており、9世紀には中国の商人が多く来ていたため、停止を区切りとみるのは誤りだとする見方がある。また、土佐日記の「女性に仮託した」という通説にも、2006年に小松英雄が否定する検証を出している。
くらさんの考察
女性が文学の中心になったのは、才能だけでなく、平仮名という「正式でない文字」を使う立場にあったことが大きいと考えられる。漢文は男性官人の公の言葉で、心の動きを細かく書くには向かない。平仮名を使う女房たちは、その制約がない分、日々の感情や人間関係を書くことができた。摂関家の后を支える宮廷サロンが、書き手と読み手を同時に用意したことも見逃せない。
ジージへの問いかけ
・紀貫之が女性のふりをして日記を書いたのは、なぜだと思いますか。
・宮中の后どうしの競争がなかったら、源氏物語や枕草子は生まれたでしょうか。
・漢字を使う男性と、平仮名を使う女性という分け方は、今の日本語にどんな跡を残していると思いますか。
出典
・平仮名(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/平仮名
・国風文化(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/国風文化
・古今和歌集(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/古今和歌集
・竹取物語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/竹取物語
・伊勢物語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/伊勢物語
・土佐日記(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/土佐日記
・蜻蛉日記(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/蜻蛉日記
・枕草子(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/枕草子
・源氏物語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/源氏物語
・今昔物語集(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/今昔物語集
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