No.229新着 文藝春秋(1923年〜現在) 作家の個人誌が、文庫と週刊誌を持ち、賞の事務局まで担う出版社になるまで
文藝春秋は、菊池寛が1923年に自費で出した雑誌『文藝春秋』から始まった出版社である。戦後の1946年にいったん解散し、社員有志が同年6月に文藝春秋新社をつくって引き継いだ。1959年に『週刊文春』、1974年に文春文庫を出し、芥川賞と直木賞を運営する日本文学振興会は同社の建物に事務所を置く。近年は『週刊文春』の部数が2012年下期の約48万部から2024年下期の約17万部へ減っている。
本文と出典
あらまし
文藝春秋は、東京・紀尾井町に本社を置く出版社である。出発点は、作家の菊池寛が1923年1月に私財を投じて出した雑誌『文藝春秋』にある。創刊の経緯は菊池寛(id 201)の記事で扱っているので、この記事は、個人の雑誌がどのようにして文庫、週刊誌、文学賞の事務局を持つ会社になったかを追う。
講談社(id 227)や新潮社(id 224)と比べたときの目立つ違いは、中心に総合誌と週刊誌があることだ。文芸誌ではなく、時事と人物を扱う雑誌が会社の顔になっている。その会社が、純文学の新人賞である芥川賞も運営している。この組み合わせが、文藝春秋の評価の分かれ目にもなっている。
主なできごと
・1923年 菊池寛が雑誌『文藝春秋』を創刊する
・1946年 3月、戦争協力への加担を問われて解散する。6月、佐佐木茂索ら社員有志が株式会社文藝春秋新社を設立する
・1959年 4月、『週刊文春』を創刊する
・1966年 3月、社名を現在の「文藝春秋」に改める
・1968年 社長の池島信平が別の団体の機関誌を出そうとして社員会が反発し、労働組合ができる。池島は代わりに『諸君!』を創刊する
・1974年 6月、文春文庫を創刊する。『文藝春秋』の田中角栄の資金をめぐる報道が、内閣退陣につながったとされる
・1984年 『週刊文春』が「ロス疑惑」を全7回で報じる
・1995年 『マルコポーロ』が廃刊になる
・2016年 『週刊文春』のスクープが相次ぎ、「文春砲」と呼ばれるようになる
・2021年 3月、『週刊文春』の電子版を始める
・2024年 12月、動画メディア「文藝春秋PLUS」を正式に始める
解散と再建
1946年の解散は、会社の連続性を考えるうえで外せない。ウィキペディアは、同年3月に戦争協力への加担を問われて解散し、6月に佐佐木茂索らの社員有志が文藝春秋新社を設立した、と記す。法人としては別の会社であり、1966年3月に社名から「新社」が外れて現在の名になった。菊池寛自身は1947年に公職追放を受け、解除されないまま1948年に亡くなっている。創業者の手を離れた会社が、社員の手で続いたことになる。
週刊誌と文庫を足した順序
『週刊文春』は1959年4月の創刊である。ウィキペディアによれば、創刊号は明仁皇太子(当時)の結婚の前々日に発売され、広告には「あさっては皇太子のご結婚、今日は週刊文春の創刊日。」と打たれた。1984年にはロス疑惑の連載で報道合戦を呼び、2016年にはベッキー氏と川谷絵音氏の報道、甘利明氏の口利き疑惑、舛添要一氏の辞任に至る報道が続いて「文春砲」の語が広まった、と同じ項は書く。
文春文庫は1974年6月に10点で始まった。ウィキペディアは、自社の作品が他社の文庫に入ってしまうことを防ぐために創刊されたと説明し、講談社文庫(1971年)や中公文庫に遅れての出発だったと記す。池波正太郎『鬼平犯科帳』がこの文庫の代表的な柱とされ、ノンフィクションの点数が多いことも特徴に挙がる。順序としては、まず総合誌、次に週刊誌、最後に文庫と、読者に会う場所を広げていった。
賞との結びつき
芥川賞と直木賞は、1935年に菊池寛が文藝春秋社の事業として設けた。運営する日本文学振興会は、ウィキペディアによれば1938年7月に菊池寛らが設立し、2010年に公益財団法人になった。日本文学振興会の公式サイトに載る事務所は、文藝春秋ビル9階である。ウィキペディアは同会が菊池寛賞、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞も運営すると記す。
受賞作は雑誌の売上にも効いている。ウィキペディアによれば、芥川賞の2作を載せた2004年3月号は118万5千部、又吉直樹『火花』を載せた2015年9月の特別号は110万3千部売れ、どちらも同誌の記録的な号である。賞の発表が、会社の看板雑誌を最も売る機会になっていることがわかる。
近年の数字と動き
日本ABC協会の部数として、ウィキペディアは『文藝春秋』を2025年7〜12月に113,347部と記す。『週刊文春』は、同項の部数表で最高が2012年下期の480,846部、2024年下期が168,891部である。12年で約3分の1になった。表は2011年下期以降のものなので、それ以前の最大は含まれない。
会社全体の規模は、ウィキペディアが2023年3月時点で従業員348人、売上高194億円と記す。確認できた範囲では、それより新しい売上の数字は見つからなかった。
デジタルでは、『週刊文春』電子版が2021年3月に始まり、2023年7月27日に有料会員が1万人を超えたとされる。『文藝春秋』の電子版は、創刊100周年を機に、編集長の新谷学氏が「第二の創刊」と位置づけて始めた。10年分で3,000本以上の記事を読み放題とし、毎月の動画番組も付ける。2024年12月には、無料の動画メディア「文藝春秋PLUS」も正式に始まった。同月の発表に載る社長は飯窪成幸氏である。
評価の分かれる点
週刊誌の報道は、評価が大きく割れる。『週刊文春』のスクープで政治家や著名人が職を退いた例を、権力の監視と見る人がいる。一方、私生活を暴く報道として批判する人もいる。ウィキペディアは、1995年の『マルコポーロ』廃刊と、2004年の記事の出版差し止め事件(東京高裁が差し止めを取り消した)も、人権をめぐる論争として挙げる。個々の報道の是非はここでは判断しない。
くらさんの考察
文藝春秋の年表を見ると、会社を支える柱は、作家の同人的な雑誌から、時事を扱う総合誌と週刊誌へ移ってきたと考えられる。一方で、芥川賞の号が『文藝春秋』の最高部数になっていることから、文芸の賞は今も雑誌の売上と切り離せない。
『週刊文春』の部数減は、電子版の拡大と並行している。ウィキペディアの表でデジタルは2024年下期に572部と小さいが、電子版の有料会員数は別の集計であり、この二つの数字は同じ尺度では比べられない。電子版が紙の減少をどこまで補っているかは、確認できる資料が手元にない。
また、賞の事務局を持つ会社が、同じ会社の週刊誌で作家を含む人々を報じる構図には、賞の信頼と週刊誌の報道が互いに影響する可能性がある。ただ、これを裏づける具体的な事例は今回確認しておらず、推測にとどまる。
ジージへの問いかけ
・ジージは『文藝春秋』や『週刊文春』を買った、あるいは床屋や病院で読んだ記憶はありますか。いまの部数を聞いて、どう感じますか。
・芥川賞を運営する会社が、同じ会社の週刊誌で人の私生活を報じることを、どう思いますか。
・戦争協力を問われて解散した会社が、社員の手で続いたことを、会社の歴史としてどう受け止めますか。
出典
・ウィキペディア「文藝春秋」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文藝春秋
・ウィキペディア「文藝春秋 (雑誌)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文藝春秋_(雑誌)
・ウィキペディア「週刊文春」 https://ja.wikipedia.org/wiki/週刊文春
・ウィキペディア「文春文庫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文春文庫
・ウィキペディア「日本文学振興会」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本文学振興会
・日本文学振興会 公式サイト https://bungakushinko.or.jp/
・文藝春秋「電子版は『第二の創刊』です」 https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h4906
・文藝春秋「動画メディア『文藝春秋PLUS』を正式スタート」(2024年12月2日) https://bunshun.jp/articles/-/75262
動画
・【経営者は菊池寛に学べ】文春はこんな“社風”|雑誌「文藝春秋」は大正のSNSだ|菊池寛の天才性とは?|芥川龍之介との「チップ問題」、頼まれてないのに売上公表…菊池寛の率直さ【鹿島茂×楠木建】(文藝春秋PLUS 公式チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=GTEaYksFYA0
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが文学QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。