ジージとくらさんの文学談義2026年10月22日
文学しらべ
問いを重ねて、日本文学を読む

談義ジージの問い、くらさんの答え

運営者ジージが日本文学について問い、くらさん(AI)が資料を調べて答えます。このサイトの中心です。事実には出典を付け、確かめられないことは「わからない」と書きます。

  1. 芥川賞、直木賞以前には、どんな文学賞があったのですか?それとも、その手の文学賞と呼べるものは一切無かったのでしょうか?新着第三問

    質問 2026年10月22日 21:15

  2. 芥川賞、直木賞について教えて、あれは一体何ですか?出版社が書籍の販促の為に創り出したコンテスト?新着第二問

    質問 2026年10月22日 21:00

  3. 文学というのは一体なに?時代を遡ってどのあたりの書き物から文学と呼べるの?新着第一問

    質問 2026年10月22日 20:04

第三問新着

ジージ
芥川賞、直木賞以前には、どんな文学賞があったのですか?それとも、その手の文学賞と呼べるものは一切無かったのでしょうか?

2026年10月22日 21:15 の質問

くらさん

ひとことで

ありました。それもたくさん。明治の半ばから、新聞や雑誌が原稿を募って賞金を出す「懸賞小説」が盛んで、のちの有名作家が何人もそこから出ています。もっとさかのぼれば、平安時代の「歌合」は、判定役が和歌の勝ち負けを決める、文学の競い合いそのものでした。芥川賞・直木賞は「日本で最初の文学賞」ではありません。それまでとは選び方の違う賞でした。

平安の歌合 勝ち負けと講評のある競い合い

仕組み歌人を左右の二組に分け、一番ずつ和歌を出して優劣を競います。判者(はんじゃ)が勝ち負けを決め、その理由を「判詞(はんし)」として述べます。
始まり記録に残る最古のものは、885年(仁和元年)ごろの「在民部卿家歌合」とされます。
名高いもの960年(天徳4年)に村上天皇が開いた「天徳内裏歌合」、1192年(建久3年)ごろに九条良経が開いた「六百番歌合」。
のちへの影響判詞はしだいに文学論の性格を帯び、和歌の批評(歌論)につながっていきました。
賞金こそありませんが、「作品を並べ、選ぶ人が理由をつけて優劣を決める」という形は、今の文学賞の選考会と同じです。

江戸の万句合 募集と入選の大衆版

川柳の名のもとになった柄井川柳は、1757年(宝暦7年)に初めて「万句合(まんくあわせ)」を開きました。句を広く募り、選んで発表する催しで、月に3回開かれ、1762年には一度に1万句を超える句が集まったと記録されています。誰でも投句できて、選ばれた句が世に出る。のちの「公募」の先祖のような仕組みです。

明治・大正・昭和初期 新聞と雑誌の懸賞小説

明治に新聞と雑誌が広まると、各社が読者を集めるために、小説の原稿を募集して賞金を出すようになりました。主なものを挙げます。
1893年(明治26年)読売新聞「歴史小説歴史脚本」高山樗牛の「瀧口入道」が二席に入りました。応募は匿名で、入選の発表のあとで名乗り出るのがふつうだったそうです。
・1897年(明治30年)〜1924年(大正13年)『萬朝報』の懸賞小説:週1回の募集で賞金10円(のちに20円)、一時の中断をはさんで合わせて1720回も続きました。入選者には永井荷風、国木田独歩、横光利一、宇野千代、そして**菊池寛**の名があります。
・1904年(明治37年)「大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説」:大倉桃郎の「琵琶歌」が1等、賞金300円(いまの100万円ほどとされます)。作者は原稿を友人に託して日露戦争に出征していて、受賞を知らなかったそうです。これが「創刊○周年記念」の懸賞の先駆けになりました。
1910年(明治43年)大阪朝日「1万号記念文芸」田村俊子の「あきらめ」が1等。
1919年(大正8年)大阪朝日「創刊40周年記念文芸」吉屋信子が入選。
1925年(大正14年)『文藝春秋』の懸賞小説山本周五郎の「須磨寺附近」。菊池寛の会社も、芥川賞の10年前に懸賞をやっていました。
1926年(大正15年)大阪朝日「大朝短編小説」石川達三、平林たい子が世に出ます。石川達三は、のちに第1回芥川賞を受ける人です。
1929年(昭和4年)『改造』の懸賞評論1等が宮本顕治の「『敗北』の文学」、2等が小林秀雄の「様々なる意匠」。のちに批評の神様と呼ばれる小林秀雄は、懸賞の2等からの出発でした。

では、芥川賞・直木賞の何が新しかったのか

ここからは、くらさんの考えです。
それまでの懸賞は、新聞社や雑誌社が「原稿を募集して、応募作から選ぶ」ものでした。目的は紙面を埋める作品と読者を集めることで、選ぶのも主催した社です。
芥川賞・直木賞は、応募を受け付けません。すでに新聞や雑誌(他社のものも含む)に載った作品の中から、作家たちが選考委員になって選びます。つまり「募集」ではなく「顕彰」、腕前を世に認める賞でした。その上で、亡くなった有名作家の名を冠し、毎年2回続けることで、賞そのものに権威が育つように作られています。
懸賞から多くの作家が出たことを、菊池寛は身をもって知っていました。自分も『萬朝報』の懸賞に入選した一人です。芥川賞は、明治以来の懸賞の伝統を、作家が選ぶ「権威ある賞」へと一段引き上げたもの、と言えそうです。前の問いでお話しした「日本にも権威ある文学賞を」という声は、この懸賞の時代のあとに出てきたものでした。

ジージへの問いかけ

・応募作から選ぶ「懸賞」と、世に出た作品から選ぶ「賞」。新しい書き手が世に出る道として、どちらが公平だと思いますか。
・平安の歌合では、判者の講評(判詞)がのちに歌論として読まれました。今の芥川賞の選評も、何百年かあとには「文学論」として読まれていると思いますか。

出典

・ウィキペディア「歌合」 https://ja.wikipedia.org/wiki/歌合
・ウィキペディア「柄井川柳」 https://ja.wikipedia.org/wiki/柄井川柳
公募ガイド「文学賞別傾向と対策5公募文学賞の歴史」 https://koubo.jp/article/25481
・公募ガイド「文芸公募百年史 VOL.6『萬朝報』懸賞小説」 https://koubo.jp/article/29195
・公募ガイド「文芸公募百年史 VOL.2 大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説」 https://koubo.jp/article/28381
・ウィキペディア「小林秀雄 (批評家)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/小林秀雄_(批評家)
・ウィキペディア「芥川龍之介賞」 https://ja.wikipedia.org/wiki/芥川龍之介賞

問い 2026年10月22日 21:15 答え 2026年10月22日 21:17 ▲ 上へ

第二問新着

ジージ
芥川賞、直木賞について教えて、あれは一体何ですか?出版社が書籍の販促の為に創り出したコンテスト?

2026年10月22日 21:00 の質問

くらさん

ひとことで

ジージの見立ては、半分当たっています。芥川賞と直木賞は、1935年に出版社・文藝春秋の社長で作家の菊池寛が作った賞です。菊池本人が「半分は雑誌の宣伝」と書いています。ただ、残りの半分は本気の新人発掘で、選ぶのは出版社の社員ではなく作家たちです。90年続くうちに、宣伝の道具の域を越えた存在になりました。

どんな賞か

芥川賞正式には芥川龍之介賞。純文学の賞で、新聞や雑誌に載った短編・中編のうち、無名か新進の作家の作品から選びます。受賞作は月刊誌『文藝春秋』に載ります。
直木賞正式には直木三十五賞。大衆文学(娯楽小説)の賞で、単行本が対象です。はじめは新人向けでしたが、1970年代ごろから中堅作家が受けることが多くなりました。受賞作は『オール讀物』に載ります。
共通すること選考は年2回(1月と7月)で、東京・築地の料亭「新喜楽」で選考会を開きます。正賞は懐中時計、副賞は100万円。主催は日本文学振興会ですが、その財源はもともと文藝春秋の寄付で、事実上は文藝春秋と一体の賞です。

なぜ作られたか

・1934年、菊池寛は自分の雑誌『文藝春秋』のコラム「話の屑籠」で、亡くなった二人の友人の名を付けた新人賞の構想を書きました。芥川龍之介(1927年没)と直木三十五(1934年没)は、どちらも『文藝春秋』に原稿を寄せて雑誌を育てた作家です。
・正式な旗揚げは、1935年1月号の「芥川・直木賞宣言」です。
・同じ1935年の「話の屑籠」で、菊池は賞の性格について「半分は雑誌の宣伝にやっている」と書き、そのことは最初から明言してある、とも述べています。
・ほかに、日本にも権威のある文学賞が必要だという声が文壇にあったことも、きっかけの一つとされています。
つまり、販促と文学振興の二つの目的が、はじめから並んでいました。菊池はそれを隠していません。

はじめは話題にならなかった

意外なことに、最初のころはあまり注目されませんでした。1935年に菊池は、新聞がもっと大きく扱ってくれてもよい、と不満を書いています。
転機は1956年、石原慎太郎の「太陽の季節」の受賞です。本がベストセラーになり、「慎太郎ブーム」と呼ばれる騒ぎになりました。それから新聞が大きく取り上げるようになり、開高健や大江健三郎の受賞のときには、テレビやラジオも取材に押しかけるようになります。今のような「年2回のお祭り」は、このときに始まりました。

宣伝だけではない、と言える点

選ぶのは作家選考委員は社員ではなく、山田詠美や宮部みゆきのような現役の作家です(いまはそれぞれ9人)。
他社の作品も選ぶ最近の芥川賞でも、講談社の『群像』や新潮社の『新潮』に載った作品が受賞しています。直木賞の第175回は光文社の本でした。自社の本だけを売る仕組みにはなっていません。
「該当作なし」を出す2025年上半期の第173回は、芥川賞・直木賞とも受賞作なしでした。書店は売り場を作れず「大打撃」と嘆いたと報じられています。売るためだけの賞なら、こういう回は出しにくいはずです。

それでも商売と深く結びついている

受賞すれば本はよく売れます。又吉直樹の『火花』は約229万部、綿矢りさの『蹴りたい背中』は約127万部と、受賞作の中でも飛び抜けた部数になりました。出版社にとっても書店にとっても、年2回の大きな売り場です。直木賞は2025年12月、候補作の発表を1か月早めると決めました。候補作が売れる期間を長くするためとされています。

くらさんの考え

芥川賞・直木賞は「出版社が作った販促のコンテスト」として生まれ、それが今も根っこに残っています。ただ、出版社の外の作家が選び、他社の作品にも贈り、ときには受賞作なしも出す。そうしたことを90年続けるうちに、出版社一社の持ち物を越えて、日本の文学の「物差し」の一つとして扱われるようになったと考えられます。
もう一つ大事なのは、受賞作の多くが、ふだんは本を手に取らない人にまで届いたことです。宣伝の力があったからこそ、純文学の新人の短い小説が百万部単位で読まれる。菊池寛の「半分は宣伝」は、文学を商売にしたというより、商売の力で文学を広げようとした、と読むこともできます。

ジージへの問いかけ

・ジージが芥川賞・直木賞の受賞作を手に取ったのは、「賞を取ったから」でしたか、それとも別の理由でしたか。
・本屋大賞のように書店員が選ぶ賞と、作家が選ぶ芥川賞・直木賞。どちらの選び方を信用しますか。

出典

・ウィキペディア「芥川龍之介賞」 https://ja.wikipedia.org/wiki/芥川龍之介賞
・ウィキペディア「直木三十五賞」 https://ja.wikipedia.org/wiki/直木三十五賞
・日本文学振興会「芥川龍之介賞」 https://bungakushinko.or.jp/award/akutagawa/
・日本文学振興会「直木三十五賞」 https://bungakushinko.or.jp/award/naoki/
・リアルサウンド「芥川賞・直木賞『該当作なし』に書店や作家から戸惑いの声」 https://realsound.jp/book/2025/07/post-2093200.html
・このサイトの資料 No.61「芥川賞」 https://bungaku.top/yobo/61 ・No.62「直木賞」 https://bungaku.top/yobo/62
ジージ
受賞作だから読んだということは、ほぼないです。ネットで話題になっていた、書店、電車内のポップを見た、知り合いから勧められた、図書館でたまたま見つけた、Xで見かけた、などが知らない本の情報を得るところです。

2026年10月22日 21:10 の返信

くらさん
ジージの本との出会い方は、いまの読者の多くと重なっています。調査の数字で見てみます。

本を選ぶきっかけの調査

クロス・マーケティングという調査会社が、2025年10月に全国の20〜69歳1,100人に聞いた「読書に関する調査」があります。半年に1冊以上本を読む532人に、本の選び方を聞いています(いくつ選んでもよい答え方)。
好きな作家の新刊32.0%
タイトルに惹かれた本28.4%
なんとなく自分のためになりそうだと思った本25.6%
1、2ページ読んでみて自分に合いそうだったら18.4%
本屋さんの店頭で推されている本17.3%
テレビや新聞などの書評で気になった本15.0%
表紙のデザインに目がとまった本13.2%
家族や友人のオススメ12.8%
賞を獲得した本11.8%
クチコミ評価の高い本10.7%
SNSで話題になっている本10.2%
「賞を獲得した本」は11.8%で、上位12項目の中でも下のほうです。ジージの「受賞作だから読んだことはほぼない」は、珍しいことではありません。

ジージの入口と、数字の重なり

書店や電車のポップ「店頭で推されている本」17.3%、「タイトル」「表紙」に引かれた本も合わせると、手に取る場面で決まる人が多いことが分かります。
知り合いのすすめ「家族や友人のオススメ」12.8%。
X やネットの話題「SNSで話題」10.2%、「クチコミ評価」10.7%。この調査では、20代は SNS の話題をきっかけにする人が多いとされています。
図書館本の手に入れ方では、「新刊を買う」46.6%に次いで「図書館で借りる」が35.0%で2位でした。女性の50〜60代では、図書館がいちばん多い入手方法です。
ちなみに60代は「テレビや新聞などの書評」をきっかけにする人が多い、という結果も出ています。ジージの入口はそれより若い世代に近い、と言えそうです。

くらさんの考え

この数字を見ると、芥川賞・直木賞の力は「受賞作を直接選ばせる」ことより、「書店が売り場を作り、新聞やテレビが取り上げ、それが店頭やネットの話題になる」という回り道の中にある、と考えられます。ジージが書店のポップや X で見かけた本の中にも、元をたどれば賞の発表がきっかけで並んだものがあったかもしれません。
もう一つ気づくのは、書店員が投票で選ぶ「本屋大賞」が、ちょうどジージの入口(書店の店頭)に合わせて作られた賞だということです。作家が選ぶ芥川賞・直木賞より、書店員の「これを売りたい」が届きやすい人は多いのでしょう。本屋大賞の話は、資料 No.63 にまとめてあります。

出典

・クロス・マーケティング「読書に関する調査(2025年)」報道発表(2025年10月8日) https://www.cross-m.co.jp/hubfs/Report/release_files/news_release_20251008.pdf
・このサイトの資料 No.63「本屋大賞」 https://bungaku.top/yobo/63

2026年10月22日 21:11 の返事

問い 2026年10月22日 21:00 答え 2026年10月22日 21:01 ▲ 上へ

第一問新着

ジージ
文学というのは一体なに?時代を遡ってどのあたりの書き物から文学と呼べるの?

2026年10月22日 20:04 の質問

くらさん

ひとことで

いま「文学」と言うと、小説・詩・和歌・物語・随筆のように、ことばで作られ、読む人や聞く人の心を動かすことを目当てにしたもの、という意味になります。ただ、この意味で「文学」という言葉を使うようになったのは明治時代からで、思ったより新しいのです。それより前、「文学」はもっと広く「書物の学問」を指していました。

「文学」という言葉の移り変わり

論語いちばん古い出どころの一つは『論語』先進篇です。孔子が弟子の得意を四つに分けて「徳行・言語・政事・文学」と挙げ、「文学」には子游と子夏の名を置いています。ここでの文学は、書物を読み、学問と教養を身につけることでした。
明治の訳語西洋の literature(もとはラテン語の littera=文字)の訳語として「文学」が当てられ、ことばの芸術を指すようになったのは明治時代です。中国ではそれより早く、1857年にエドキンズという宣教師が論説の題に、1866年にロプシャイトが英中辞典で、literature の意味で「文学」を使った例があります。
今の定義事典では「ことばのあらゆる力を使って、受け手への効果を大きくしようとする言語表現」といった定義がされています。書き言葉に限らず、口で語られたものも含みます。
つまり「文学とは何か」は、言葉そのものが時代とともに意味を変えてきたので、答えが一つに決まらない問いです。

時代をさかのぼると、どこから「文学」と呼べるか

線の引き方で答えが変わるので、三つの線を並べます。
文字が書かれたもの日本で書かれた年が分かる古い文章に、埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣の銘があります。表と裏に115字が金で刻まれ、「辛亥年」は471年とみる説が有力で、ワカタケル大王(雄略天皇とされる)の名が見えます。ただしこれは、王に仕えたことを記した記録で、ふつうは文学とは呼びません。
現存最古の書物712年(和銅5年)の『古事記』です。天武天皇の命で稗田阿礼が覚えて唱えていた歴史の伝えを、太安万侶が書き記しました。神話や物語の中に歌謡がたくさん入っていて、文学としての値打ちも高いとされています。
歌の集『万葉集』は、7世紀前半から759年までのおよそ130年の歌を4500首あまり集めたものです。天皇や貴族だけでなく、防人や農民の歌、東国の民謡(東歌)も入っています。まだひらがながなかったので、漢字の音や訓を借りた「万葉仮名」で書かれています。
教科書や事典で「日本文学のはじまり」とされるのは、ふつう『古事記』『日本書紀』『万葉集』の8世紀です。このサイトの資料も、No.1「上代の文学」からはじめています。

文字より前にも文学はあった

『古事記』は、阿礼が口で唱えていたものを書き取った本です。ということは、書き留められる前から、神話や歌は人の口から口へ語り継がれていたことになります。文字によらず口伝えで残る文学を「口承文学」と呼び、アイヌのユーカラはその代表です。口承の文学は、語る人が絶えると消えてしまいます。日本の文学の本当のはじまりは、文字に残る前の語りや歌にあったと考えられますが、それは今では読めません。

くらさんの考え

ジージの問いに一つ答えを出すなら、くらさんはこう考えます。
「誰かが、聞く人・読む人の心を動かそうとして、ことばを選んで形にしたもの」が文学です。そう考えると、稲荷山の鉄剣銘は記録なので入らず、『古事記』の歌謡と『万葉集』のいちばん古い歌(7世紀前半)が、私たちが今読める日本文学の入口になります。
ただし、その奥には、文字になる前に何百年も語り継がれた歌と物語があったはずです。『万葉集』に作者の分からない歌が2100首以上あるのは、名もない人びとが歌い継いだ歌が、ようやく文字にすくい取られた跡だとも読めます。文学のはじまりは「書かれた日」ではなく「語られはじめた日」で、そこには文字の記録では届かない、と考えています。

ジージへの問いかけ

・ジージにとって、心を動かされた「文学」は、本で読んだものでしょうか、それとも誰かから聞いた話や歌でしょうか。
・明治の人が literature に、学問の意味の強い「文学」という言葉を当てたことで、日本人の文学の受け止め方は何か変わったと思いますか。

出典

・維基文庫『論語』先進第十一 https://zh.wikisource.org/wiki/論語/先進第十一
・ウィキペディア「文学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文学
・ウィキペディア「稲荷山古墳出土鉄剣」 https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷山古墳出土鉄剣
・ウィキペディア「古事記」 https://ja.wikipedia.org/wiki/古事記
・ウィキペディア「万葉集」 https://ja.wikipedia.org/wiki/万葉集
・ウィキペディア「口承文学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/口承文学
・このサイトの資料 No.1「上代の文学(〜794年)」 https://bungaku.top/yobo/1
ジージ
これ  literature 自体には学問という意味合いはあまり無いの? >明治の人が literature に、学問の意味の強い「文学」という言葉を当てた

2026年10月22日 20:53 の返信

くらさん
いいところに気がつかれました。調べてみると、literature のほうにも、もともと学問の意味がしっかりありました。前の答えの書き方は、「文学」の側だけが学問寄りだったように読めてしまうので、ここで直します。

literature の生まれ

英語の literature は、ラテン語の litteratura から来ています。もとは littera(文字)で、litteratura は「文字で書いたもの」から広がって「学問・書くこと・文法」を指しました。日本語版ウィキペディアも、ラテン語の意味を「筆記、文法、教養」と説明しています。

18世紀までは「書物ぜんぶ」

英語版ウィキペディアによると、18世紀より前の西ヨーロッパでは、literature は書かれたものや本の全体を指していました。詩や物語に限らず、学問の本も歴史の本も含みます。英語の辞書(ウィクショナリー)には、今では使われない意味として「読み書きができること」も載っていて、ディケンズの『ハード・タイムズ』(1854年)がその用例に挙がっています。

芸術の意味は後から

「ことばで作った芸術作品」という意味は、そのあとに加わりました。日本語版ウィキペディアは、この意味の初出を1764年としています。学問の名残も消えていません。今でも英語で the literature と言うと、「ある分野の研究論文の全体」を指します。研究者が「先行研究」の意味でふつうに使う言い方です。

くらさんの考え

つまり、literature も「文学」も、もとはどちらも「書物と学問」の言葉でした。そこから「ことばの芸術」へ意味が狭まった流れも、ほぼ同じです。西洋では18〜19世紀に、日本では明治にそれが起きました。
そう考えると、明治の人の訳は「学問の言葉を芸術に当てた」ずれではありません。ちょうど同じ広がりを持つ言葉どうしを、うまく対応させたものだったと考えられます。前の答えの問いかけ(受け止め方が変わったか)は、「どちらの言葉も同じころに狭まった」と言い直すのが正確でした。

出典

・ウィキペディア(英語)「Literature」 https://en.wikipedia.org/wiki/Literature
・ウィクショナリー(英語)「literature」 https://en.wiktionary.org/wiki/literature
・ウィキペディア「文学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文学

2026年10月22日 20:54 の返事

問い 2026年10月22日 20:04 答え 2026年10月22日 20:06 ▲ 上へ