ジージとくらさんの文学談義2026年10月23日
文学しらべ
問いを重ねて、日本文学を読む

雑誌このタグの資料 12 本

  1. 日本の児童文学の歩み(1891年〜現在) 子どものための読み物が一つの分野になるまで新着No.202

    日本の児童文学は、1891年の巌谷小波『こがね丸』を第一作とし、1918年創刊の鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』が作家と詩人を集めて童話と童謡の運動に育てた。戦後は1953年の「少年文学宣言」が小川未明らの童話を古いものとして批判し、1959〜60年に佐藤さとる、いぬいとみこ、松谷みよ子らの長編がそろって「現代児童文学」が始まったとされる。書き手の団体、批評、賞、国際的な受賞が重なって、児童文学は文学の一分野として扱われるようになった。

  2. 菊池寛(1888〜1948年) 『父帰る』の劇作家が、雑誌をつくり、作家の暮らしを支える側に回った新着No.201

    菊池寛は高松生まれの作家で、戯曲『父帰る』、小説『恩讐の彼方に』で文壇に出たあと、新聞小説『真珠夫人』で広い読者をつかんだ。1923年に私財で雑誌『文藝春秋』を創刊し、出版社の経営者、文芸家協会の設立者として作家の暮らしを支える仕組みをつくった。戦時中の活動を理由に戦後は公職追放となり、解除されないまま1948年に亡くなった。

  3. 出版市場の規模(1996年〜2025年) 紙はピークの4割弱、電子はマンガが9割No.85

    出版科学研究所によると、紙の出版物の販売額は1996年の約2兆6千億円がピークで、2025年は9,647億円と50年ぶりに1兆円を割った。電子は5,815億円まで伸びたが、9割を電子コミックが占め、その伸びも鈍ってきた。紙と電子の合計は1兆5,462億円で4年連続の減少である。

  4. 本が書店に並ぶ仕組み(1909年〜現在) 取次・委託・定価販売の三本柱がきしむNo.82

    日本の本は、出版社から取次(問屋)を通って書店に届き、売れ残れば返品できる「委託販売」と、全国どこでも定価で売る「再販制度」の上に流通してきた。この仕組みは本の種類を豊かにした一方で、書籍で3割、雑誌で4割を超える返品を生んだ。日販のコンビニ配送撤退(2025年2月)など、物流の縮小と見直しがいま進んでいる。

  5. 文芸の大手出版社(1869年〜現在) 雑誌と文庫で育ち、いまはマンガとIPが支えるNo.81

    日本の文芸出版を担ってきた大手出版社の多くは、明治末から戦後すぐにかけて雑誌や文庫を足場に生まれた。岩波文庫(1927年)に代表される安い叢書が名作を広く行き渡らせた。近年は大手ほどマンガのデジタル販売と版権収入への依存が強まり、集英社では2026年5月期に版権などの「事業収入」が初めて出版売上を上回った。

  6. そのほかの文学賞 純文学の賞・娯楽小説の賞・文芸誌の新人賞の見取り図No.64

    日本の文学賞は、新人の入口となる文芸誌の新人賞、芥川賞・直木賞、さらに実績ある作家に贈る谷崎賞・野間文芸賞などと段になっている。多くは出版社が主催し、純文学系と娯楽系で系統が分かれる。この記事では主な賞の創設年・主催・最近の受賞者を並べる。

  7. 芥川賞(1935年〜) 雑誌の新人の短い小説に贈る、年2回の「事件」No.61

    芥川賞は1935年に文藝春秋の菊池寛が直木賞と同時に作った、純文学の新人に贈る賞である。年2回、新聞・雑誌に載った短編・中編から選ばれ、石原慎太郎や又吉直樹のように社会の話題になる受賞をたびたび生んできた。2025年上半期の第173回は「該当作なし」だった。

  8. 大衆文学のジャンル史(大正〜現在) 時代小説・推理・SF・ホラーが日本の読書を支えてきたNo.53

    大衆文学は大正の時代小説から始まり、探偵小説、戦後の社会派推理、SF、1980年代末の新本格、1990年代のホラーへと主役を替えながら広がった。どのジャンルも、新聞・雑誌・新書判(ノベルス)・文庫といった新しい売り場と結びついて伸びた。『日本沈没』や『点と線』の部数は、娯楽小説が多くの人の読書そのものだったことを示している。

  9. 純文学をめぐる論争(1960年代〜2000年代) 「純文学は終わったのか」と文芸誌の役割No.52

    1961年、平野謙が「純文学という概念は歴史的なものにすぎない」と書いたことから純文学論争が起きた。論争は形を変えて1970年代、1990年代末〜2000年代にもくり返され、私小説の伝統や「売れない文学の価値」が問われた。純文学の作品を最初に載せる文芸誌は、部数が細るなかで誌面を作り変えている。

  10. 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのかNo.51

    「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。

  11. 大正から昭和戦前・戦中の文学(1910〜1945) 理想・技巧・階級、そして戦争No.6

    大正の文学は、学習院出身の白樺派が理想主義を掲げ、芥川龍之介や谷崎潤一郎が技巧を凝らした作品で読者をつかんだ。昭和に入ると新感覚派とプロレタリア文学が並び立つ一方、円本や雑誌『キング』で本と雑誌が大衆のものになった。戦争が深まると弾圧と統制で書けることが狭まり、文学者は国策に組み込まれていった。

  12. 明治の文学(1868〜1912) 話すように書く文章と「私」を書く小説が生まれたNo.5

    明治の文学は、坪内逍遥の『小説神髄』が「人の心を写す」ことを小説の目的に据えたところから動き出した。二葉亭四迷らの言文一致で書き言葉が話し言葉に近づき、紅葉・一葉・子規・晶子・鷗外・漱石が登場する。明治末には藤村『破戒』と花袋『蒲団』から自然主義が広がり、作者の体験をそのまま書く私小説の流れが始まった。

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