小説このタグの資料 14 本
- 日本の児童文学の歩み(1891年〜現在) 子どものための読み物が一つの分野になるまで新着No.202
日本の児童文学は、1891年の巌谷小波『こがね丸』を第一作とし、1918年創刊の鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』が作家と詩人を集めて童話と童謡の運動に育てた。戦後は1953年の「少年文学宣言」が小川未明らの童話を古いものとして批判し、1959〜60年に佐藤さとる、いぬいとみこ、松谷みよ子らの長編がそろって「現代児童文学」が始まったとされる。書き手の団体、批評、賞、国際的な受賞が重なって、児童文学は文学の一分野として扱われるようになった。
- 菊池寛(1888〜1948年) 『父帰る』の劇作家が、雑誌をつくり、作家の暮らしを支える側に回った新着No.201
菊池寛は高松生まれの作家で、戯曲『父帰る』、小説『恩讐の彼方に』で文壇に出たあと、新聞小説『真珠夫人』で広い読者をつかんだ。1923年に私財で雑誌『文藝春秋』を創刊し、出版社の経営者、文芸家協会の設立者として作家の暮らしを支える仕組みをつくった。戦時中の活動を理由に戦後は公職追放となり、解除されないまま1948年に亡くなった。
- 本屋大賞(2004年〜) 書店員が「いちばん売りたい本」を投票で選ぶNo.63
本屋大賞は2004年に始まった、全国の新刊書店の書店員が投票で選ぶ賞である。受賞作は例外なくベストセラーになり映画化も多いため、芥川賞・直木賞より売れる賞と言われる。2025年は阿部暁子『カフネ』、2026年は朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』が大賞を取った。
- 直木賞(1935年〜) 大衆文学の賞は「新人発掘」から「中堅への勲章」へNo.62
直木賞は芥川賞と同じ1935年に菊池寛が作った、大衆文学(娯楽小説)の賞である。当初は無名・新進作家が対象だったが、1970年代以降は実績のある中堅作家が受ける賞に変わった。2025年上半期は該当作なし、その後は嶋津輝、朝倉かすみが受賞した。
- 芥川賞(1935年〜) 雑誌の新人の短い小説に贈る、年2回の「事件」No.61
芥川賞は1935年に文藝春秋の菊池寛が直木賞と同時に作った、純文学の新人に贈る賞である。年2回、新聞・雑誌に載った短編・中編から選ばれ、石原慎太郎や又吉直樹のように社会の話題になる受賞をたびたび生んできた。2025年上半期の第173回は「該当作なし」だった。
- ライトノベル・ケータイ小説・ウェブ小説(1975年〜現在) 二分法の外で育った読書No.54
ライトノベルは1970〜80年代の少年少女向け文庫から育ち、1990年に名前が付いた。2000年代にはケータイ小説、2010年代には「小説家になろう」などの投稿サイトから書籍化・アニメ化される流れが生まれた。これらは純文学か大衆文学かという古い区別では捉えにくい、読者が書き手にもなる読書である。
- 大衆文学のジャンル史(大正〜現在) 時代小説・推理・SF・ホラーが日本の読書を支えてきたNo.53
大衆文学は大正の時代小説から始まり、探偵小説、戦後の社会派推理、SF、1980年代末の新本格、1990年代のホラーへと主役を替えながら広がった。どのジャンルも、新聞・雑誌・新書判(ノベルス)・文庫といった新しい売り場と結びついて伸びた。『日本沈没』や『点と線』の部数は、娯楽小説が多くの人の読書そのものだったことを示している。
- 純文学をめぐる論争(1960年代〜2000年代) 「純文学は終わったのか」と文芸誌の役割No.52
1961年、平野謙が「純文学という概念は歴史的なものにすぎない」と書いたことから純文学論争が起きた。論争は形を変えて1970年代、1990年代末〜2000年代にもくり返され、私小説の伝統や「売れない文学の価値」が問われた。純文学の作品を最初に載せる文芸誌は、部数が細るなかで誌面を作り変えている。
- 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのかNo.51
「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。
- 平成・令和の文学(1989〜2026) ネットから生まれる小説と、翻訳で世界に読まれる日本文学No.8
昭和の終わりの村上春樹『ノルウェイの森』と吉本ばなな『キッチン』から、平成の文学は始まったといえる。ライトノベル、ケータイ小説、「小説家になろう」などネット発の小説が新しい読者と書き手を生み、2020年代には柚木麻子『BUTTER』や王谷晶『ババヤガの夜』が英国で賞を取った。芥川賞では生成AIや読書バリアフリーが話題になり、2025年上半期には両賞が27年ぶりに「該当作なし」となった。
- 戦後から昭和の終わりまでの文学(1945〜1989) 焼け跡から世界へ、純文学と大衆小説の黄金期No.7
敗戦直後、坂口安吾や太宰治ら無頼派が既成の文学に反発し、戦争体験を背負った戦後派が西洋の長編の技法を持ち込んだ。1950年代には日常を描く第三の新人、社会派推理の松本清張、歴史小説の司馬遼太郎が登場し、純文学と大衆小説がともに多くの読者を得た。1968年に川端康成がノーベル文学賞を受け、三島・安部・大江は海外で読まれる作家になった。
- 大正から昭和戦前・戦中の文学(1910〜1945) 理想・技巧・階級、そして戦争No.6
大正の文学は、学習院出身の白樺派が理想主義を掲げ、芥川龍之介や谷崎潤一郎が技巧を凝らした作品で読者をつかんだ。昭和に入ると新感覚派とプロレタリア文学が並び立つ一方、円本や雑誌『キング』で本と雑誌が大衆のものになった。戦争が深まると弾圧と統制で書けることが狭まり、文学者は国策に組み込まれていった。
- 明治の文学(1868〜1912) 話すように書く文章と「私」を書く小説が生まれたNo.5
明治の文学は、坪内逍遥の『小説神髄』が「人の心を写す」ことを小説の目的に据えたところから動き出した。二葉亭四迷らの言文一致で書き言葉が話し言葉に近づき、紅葉・一葉・子規・晶子・鷗外・漱石が登場する。明治末には藤村『破戒』と花袋『蒲団』から自然主義が広がり、作者の体験をそのまま書く私小説の流れが始まった。
- 江戸の文学(1603〜1868年) 木版の本屋と町人の読者が文学を商売にしたNo.4
江戸時代、本は寺や貴族のものから、本屋が作って売る商品になった。寛永ごろに木版印刷が主流になり、京都・大坂、のちに江戸で出版が盛んになった。町人の読者と貸本屋に支えられ、西鶴・芭蕉・近松から馬琴・一九まで、原稿料で暮らす作家も現れた。
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