No.7新着 戦後から昭和の終わりまでの文学(1945〜1989) 焼け跡から世界へ、純文学と大衆小説の黄金期
敗戦直後、坂口安吾や太宰治ら無頼派が既成の文学に反発し、戦争体験を背負った戦後派が西洋の長編の技法を持ち込んだ。1950年代には日常を描く第三の新人、社会派推理の松本清張、歴史小説の司馬遼太郎が登場し、純文学と大衆小説がともに多くの読者を得た。1968年に川端康成がノーベル文学賞を受け、三島・安部・大江は海外で読まれる作家になった。
本文と出典
あらまし
敗戦で価値観がひっくり返ったあと、最初に読者をつかんだのは坂口安吾の『堕落論』(1946年)や太宰治だった。彼らは無頼派(新戯作派)と呼ばれ、戦前の私小説的な文学に反発した。続いて、1946〜47年に野間宏・梅崎春生・椎名麟三らの第一次戦後派、1948〜49年に大岡昇平・三島由紀夫・安部公房らの第二次戦後派が現れ、戦争体験と西洋の小説の方法を結びつけた本格的な長編を書いた。
1950年代半ばには、安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作・庄野潤三・小島信夫らの「第三の新人」が、日常を描く短編で芥川賞を次々に取った。1955年の石原慎太郎『太陽の季節』は芥川賞を機に社会現象になった。大衆小説では松本清張の社会派推理と司馬遼太郎の歴史小説が、高度成長期の会社員を中心に読まれた。1968年、川端康成が日本人で初めてノーベル文学賞を受け、1994年には大江健三郎が続いた。
主なできごと
・1946年 坂口安吾『堕落論』
・1948年 太宰治が玉川上水で死去。この年『人間失格』
・1949年 三島由紀夫『仮面の告白』
・1951年 安部公房『壁―S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞
・1953年 松本清張『或る「小倉日記」伝』で第28回芥川賞
・1955年 石原慎太郎『太陽の季節』(第34回芥川賞、翌年1月に決定)
・1956年 三島『金閣寺』。映画『太陽の季節』で石原裕次郎がデビュー
・1958年 大江健三郎『飼育』で芥川賞(23歳)。松本清張『点と線』『眼の壁』
・1960年 司馬遼太郎『梟の城』で直木賞
・1962年 安部『砂の女』。司馬『竜馬がゆく』連載開始
・1968年 川端康成がノーベル文学賞。安部『砂の女』がフランスの最優秀外国文学賞
・1970年 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決
・1972年 川端康成が死去。有吉佐和子『恍惚の人』
・1994年 大江健三郎がノーベル文学賞(文化勲章は辞退)
戦後派:戦争を書く長編
第一次戦後派は、戦時体験の文学的な意味を問うことを中心にした。第二次戦後派は、戦前の私小説や心境小説の方法を捨て、20世紀の西洋小説の手法を取り入れた長編を書いた。社会に向けて発言する知識人という作家像もここで理想とされ、戦前の無頼派的な作家像とは大きく違った。三島と安部はノーベル賞の候補に挙がるなど、海外での評価が特に高い。
三島は『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』で人気作家になり、1965年から『豊饒の海』を書き続けた。1970年11月25日、楯の会の隊員4人と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で総監を監禁し、隊員にクーデターを促す演説をしたあと割腹自殺した。安部公房はシュルレアリスムを取り入れ、都市に生きる人の孤独を書いた。『砂の女』は30数か国語に訳され、勅使河原宏監督で映画にもなった。
第三の新人と女性作家
「第三の新人」は評論家の山本健吉が名づけた呼び名で、戦後派の重い長編に対し、私小説や短編に戻って日常を描いた。政治色が薄く小さくまとまっていると批判されたが、のちに作風が見直された。誰を含めるかは文献によって違う。
女性作家では、有吉佐和子が曾野綾子と並んで「才女」ともてはやされた。この言葉には「頭だけで書いている」という揶揄も含まれていた。有吉は認知症の老人介護を描いた『恍惚の人』(1972年)、化学物質の害を告発した『複合汚染』(1975年)で、社会の問題を先取りした。
社会派推理と歴史小説
松本清張は41〜42歳で懸賞小説に入選して世に出た遅咲きの作家である。1958年の『点と線』『眼の壁』で「社会派推理小説ブーム」が起きたが、清張自身はこの呼び名を好まなかったとされる。司馬遼太郎は産経新聞の記者から作家になり、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』を書いた。日清・日露戦争期の日本を明るく、昭和の戦争期を暗く描く歴史観は「司馬史観」と呼ばれる。
ノーベル賞
川端康成は1968年、「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現」したとして日本人で初めてノーベル文学賞を受けた。4年後の1972年、逗子でガス自殺したとされる(遺書はなかった)。大江健三郎は1994年に受賞したが、同じ年に打診された文化勲章は辞退した。
評価の分かれる点
司馬史観は左右の両方から批判を受けている。『太陽の季節』の芥川賞選考では、佐藤春夫・丹羽文雄・宇野浩二が強く反対し、舟橋聖一・石川達三・井上靖が賛成と、評価が真っ二つに割れた。第三の新人に遠藤周作や阿川弘之を含めるかどうかも見方が分かれる。
くらさんの考察
この時代は、純文学の芥川賞作家と大衆小説の流行作家がどちらも大量に読まれた点で、日本の小説がもっとも厚い読者層を持った時期と考えられる。清張が芥川賞から出発して推理小説で大衆をつかんだように、純文学と大衆文学の境目は、今よりも行き来しやすかったのではないか。
ジージへの問いかけ
・ジージが若いころ、清張や司馬遼太郎はどんなふうに読まれていましたか。会社や家族の間で話題になったことはありますか。
・三島由紀夫の最期は、作品の読み方を変えてしまったと思いますか。
・川端康成のノーベル賞受賞を、当時どのように受けとめましたか。
出典
・ウィキペディア「無頼派」 https://ja.wikipedia.org/wiki/無頼派
・ウィキペディア「第一次戦後派作家」 https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次戦後派作家
・ウィキペディア「第二次戦後派作家」 https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次戦後派作家
・ウィキペディア「第三の新人」 https://ja.wikipedia.org/wiki/第三の新人
・ウィキペディア「太宰治」 https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治
・ウィキペディア「三島由紀夫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/三島由紀夫
・ウィキペディア「安部公房」 https://ja.wikipedia.org/wiki/安部公房
・ウィキペディア「大江健三郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大江健三郎
・ウィキペディア「太陽の季節」 https://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の季節
・ウィキペディア「松本清張」 https://ja.wikipedia.org/wiki/松本清張
・ウィキペディア「司馬遼太郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/司馬遼太郎
・ウィキペディア「有吉佐和子」 https://ja.wikipedia.org/wiki/有吉佐和子
・ウィキペディア「川端康成」 https://ja.wikipedia.org/wiki/川端康成
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが文学QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。