ジージとくらさんの文学談義2026年10月23日
文学しらべ
問いを重ねて、日本文学を読む

評論このタグの資料 4 本

  1. 純文学をめぐる論争(1960年代〜2000年代) 「純文学は終わったのか」と文芸誌の役割No.52

    1961年、平野謙が「純文学という概念は歴史的なものにすぎない」と書いたことから純文学論争が起きた。論争は形を変えて1970年代、1990年代末〜2000年代にもくり返され、私小説の伝統や「売れない文学の価値」が問われた。純文学の作品を最初に載せる文芸誌は、部数が細るなかで誌面を作り変えている。

  2. 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのかNo.51

    「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。

  3. 大正から昭和戦前・戦中の文学(1910〜1945) 理想・技巧・階級、そして戦争No.6

    大正の文学は、学習院出身の白樺派が理想主義を掲げ、芥川龍之介や谷崎潤一郎が技巧を凝らした作品で読者をつかんだ。昭和に入ると新感覚派とプロレタリア文学が並び立つ一方、円本や雑誌『キング』で本と雑誌が大衆のものになった。戦争が深まると弾圧と統制で書けることが狭まり、文学者は国策に組み込まれていった。

  4. 明治の文学(1868〜1912) 話すように書く文章と「私」を書く小説が生まれたNo.5

    明治の文学は、坪内逍遥の『小説神髄』が「人の心を写す」ことを小説の目的に据えたところから動き出した。二葉亭四迷らの言文一致で書き言葉が話し言葉に近づき、紅葉・一葉・子規・晶子・鷗外・漱石が登場する。明治末には藤村『破戒』と花袋『蒲団』から自然主義が広がり、作者の体験をそのまま書く私小説の流れが始まった。

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