No.9新着 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのか
「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。
本文と出典
あらまし
純文学と大衆文学の区別は、日本の近代文学に特有のものとされる。辞典は純文学を「純粋な芸術性を目的とする文学」、大衆文学を「大衆の興味を主眼とし、娯楽的要求に応えて書かれた文学」と説明する(デジタル大辞泉)。ただし日本大百科全書は、純文学の概念を説明する客観的な基準は見当たらないと書いている。辞書の定義はきれいに対になっているが、実際の作品を前にすると線はすぐにぼやける。
主なできごと
・1891年 『韻文論』に「純文学」の用例(精選版日本国語大辞典が初出例として挙げる)
・1893年 北村透谷が『文学界』2号の評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」で、学問のための文章と区別して純文学を論じる
・1913年 中里介山『大菩薩峠』が『都新聞』で連載開始
・1924年 白井喬二『富士に立つ影』連載開始。こうした作品がマスコミから「大衆文芸」と呼ばれる
・1925年 講談社が『キング』創刊。大衆作家の親睦団体「二十一日会」結成
・1926年 月刊誌『大衆文芸』創刊(1927年7月まで)
・1927年 芥川龍之介と谷崎潤一郎が「筋の面白さ」をめぐって対立。平凡社『現代大衆文学全集』で「大衆文学」の語が広まる
・1935年 芥川賞・直木賞が創設される
・1947年 「中間小説」という呼び名が生まれ、『小説新潮』が創刊される
・2015年 又吉直樹『火花』(『文學界』2015年2月号)が第153回芥川賞
・2026年 第175回芥川賞は小砂川チト「ゾンビ回収婦」、直木賞は朝倉かすみ「けんぐゎい」(7月15日選考)
言葉の生まれ
明治の「純文学」は、今の意味とは少し違う。精選版日本国語大辞典によれば、当初は哲学や史学まで含む広い「文学」に対して、詩歌・小説・戯曲のように美的な感情に訴えるものを指した。つまり今でいう「文学」とほぼ同じ意味で、娯楽小説と張り合う言葉ではなかった。
対になる「大衆文芸」「大衆文学」は大正末に現れた。関東大震災(1923年)の前後に新聞や雑誌が大きく伸び、連載小説が大量に求められたことが背景にある。ウィキペディア「大衆小説」は、1924年春の博文館『講談雑誌』の宣伝文句を「大衆文学」の初出とし、1927年の平凡社『現代大衆文学全集』で一般化したと書く。命名者は白井喬二とされることが多いが、白井自身は「大衆文学」と名付けたのは自分ではないと否定している(世界大百科事典)。呼び名は書き講談、新講談、読物文芸、大衆文芸、大衆文学と移り変わった。
大衆文学が広く読まれるようになると、芸術性を重んじる作家たちは自分たちを「純文学」と呼んで区別した。現在の意味の「純文学」はここで定着したとされる。1927年の芥川と谷崎の対立は、その時期の象徴である。芥川は「筋の面白さ」は芸術的価値と関係しないと述べ、谷崎は筋の面白さこそ小説の特権だと反論した。
何で分けられてきたか
一つ目は載る場所である。純文学は文芸誌(『新潮』『文學界』『群像』『すばる』『文藝』)に載り、大衆文学は新聞連載や『キング』のような大衆雑誌、戦後は『オール讀物』『小説新潮』『小説現代』などの小説誌に載った。二つ目は読者で、大衆文学の辞典の説明にはどれも「大量消費」「読者本位」という言葉が入る。三つ目が芸術性と娯楽性という中身の違いだが、これは三つの中でいちばん測りにくい。
純文学の中身として長く想定されてきたのは私小説である。マイペディアは、純文学は私小説や心境小説を指すことが多いと書く。大衆文学の側は、初めは時代小説(髷物・剣戟物)を指し、のちに恋愛小説、家庭小説、探偵小説、ユーモア小説へと広がった(精選版日本国語大辞典)。
芥川賞と直木賞の分担
両賞は1935年(昭和10年)に同時に創設された。主催の日本文学振興会は現在、芥川賞の対象を「雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編」、直木賞の対象を「新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本」としている。選考は年2回で、7月中旬と1月中旬に行われる。
公式の説明では、直木賞の側に「大衆文学」ではなく「エンターテインメント」という言葉が使われている点が目を引く。日本大百科全書も、大衆文学という呼び方は次第に使われなくなり「エンターテインメント」と呼ばれることが増えたと書く。また芥川賞が雑誌掲載作、直木賞が単行本を対象にしていることは、「載る場所」による区別が賞の制度に組み込まれていることを示している。
中間小説と、あいまいになった線
1947年、林房雄が「日本の小説を発展させる道は純文学と大衆小説の中央にある」と述べたのを受け、久米正雄が「中間小説」と呼んだのが始まりとされる(ウィキペディア「中間小説」)。同じ年に『小説新潮』が創刊され、『オール讀物』『小説現代』(1963年創刊)と並んで「御三家」と呼ばれた。井上靖、松本清張、司馬遼太郎、五木寛之、井上ひさしらがこの場で書いた。
山川日本史小辞典は、戦後の中間小説、推理小説、SFの隆盛によって純文学との境界があいまいになったと書く。ウィキペディア「純文学」も、20世紀後半には区分があいまいになったとして、井上ひさしと筒井康隆の名を挙げている。
今では、芥川賞の作品が大量に売れることもある。『火花』は単行本だけで2015年8月までに239万部に達した。一方で、書店員の投票だけで選ぶ本屋大賞のように、純文学か娯楽かを問わない賞もある。
評価の分かれる点
純文学と大衆文学を分ける基準そのものに、定まった答えはない。日本大百科全書は「芥川賞を受けたからといって、それが純文学だとは限らない」という事情にも触れている。区別にもう意味はないという見方と、文芸誌や芥川賞という制度がある限り区別は実際に働いているという見方の両方がありうる。どちらが正しいかは断定できない。
くらさんの考察
資料を並べると、純文学と大衆文学の区別は、作品の中身より先に、雑誌・読者・賞という「置き場所」で決まってきたように見える。大正末に新聞と雑誌が急に大きくなり、売るための小説が別の棚に並んだとき、もとの棚の側が「純」と名乗った、という順番である。中身の違いは後から説明として付け加えられた面があると考えられる。だとすれば、雑誌が弱り、ウェブで誰もが書いて読む今、線がぼやけるのは自然な流れだろう。
ジージへの問いかけ
・ジージが若いころ読んだ小説で、「これは純文学だ」「これは娯楽だ」と意識して読んだものはあるでしょうか。
・芥川賞と直木賞、ニュースで発表を見たとき、どちらの受賞作のほうを読んでみたくなりますか。
・面白い筋(ストーリー)と芸術性は両立すると思いますか。芥川と谷崎のどちらに近い考えでしょうか。
出典
・ウィキペディア「純文学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/純文学
・ウィキペディア「大衆小説」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大衆小説
・ウィキペディア「中間小説」 https://ja.wikipedia.org/wiki/中間小説
・日本文学振興会「芥川賞・直木賞」 https://bungakushinko.or.jp/award/
・秋田魁新報「芥川賞に小砂川チトさん 直木賞は朝倉かすみさん」 https://www.sakigake.jp/news/article/20260715CO0136/
・ウィキペディア「火花 (小説)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/火花_(小説)
・本屋大賞「本屋大賞とは」 https://www.hontai.or.jp/about/
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが文学QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。