純文学と大衆文学
1891年〜現在
No.9新着 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのか
「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。
1907年〜現在
No.10新着 純文学をめぐる論争(1960年代〜2000年代) 「純文学は終わったのか」と文芸誌の役割
1961年、平野謙が「純文学という概念は歴史的なものにすぎない」と書いたことから純文学論争が起きた。論争は形を変えて1970年代、1990年代末〜2000年代にもくり返され、私小説の伝統や「売れない文学の価値」が問われた。純文学の作品を最初に載せる文芸誌は、部数が細るなかで誌面を作り変えている。
1913年〜現在
No.11新着 大衆文学のジャンル史(大正〜現在) 時代小説・推理・SF・ホラーが日本の読書を支えてきた
大衆文学は大正の時代小説から始まり、探偵小説、戦後の社会派推理、SF、1980年代末の新本格、1990年代のホラーへと主役を替えながら広がった。どのジャンルも、新聞・雑誌・新書判(ノベルス)・文庫といった新しい売り場と結びついて伸びた。『日本沈没』や『点と線』の部数は、娯楽小説が多くの人の読書そのものだったことを示している。
1975年〜現在
No.12新着 ライトノベル・ケータイ小説・ウェブ小説(1975年〜現在) 二分法の外で育った読書
ライトノベルは1970〜80年代の少年少女向け文庫から育ち、1990年に名前が付いた。2000年代にはケータイ小説、2010年代には「小説家になろう」などの投稿サイトから書籍化・アニメ化される流れが生まれた。これらは純文学か大衆文学かという古い区別では捉えにくい、読者が書き手にもなる読書である。