No.4新着 江戸の文学(1603〜1868年) 木版の本屋と町人の読者が文学を商売にした
江戸時代、本は寺や貴族のものから、本屋が作って売る商品になった。寛永ごろに木版印刷が主流になり、京都・大坂、のちに江戸で出版が盛んになった。町人の読者と貸本屋に支えられ、西鶴・芭蕉・近松から馬琴・一九まで、原稿料で暮らす作家も現れた。
本文と出典
あらまし
江戸時代の文学で最も大きく変わったのは、作品の届き方である。中世までの本は、手で書き写すか、寺院が仏典を刷るものだった。江戸時代には本屋(版元)が本を作って売る商業出版が始まり、庶民を含む多くの人が本を手に取れるようになった。読者が増えると、売れる本を書く作家と、それを企画して売り出す版元が生まれた。文学が商売として成り立つ仕組みができた時代である。
主なできごと
・16世紀末〜17世紀前半 活字で刷る古活字本の時代。嵯峨本など町人による出版も始まる
・寛永ごろ(1624〜1644年) 木版(整版)が主流になり、京都・大坂で商業出版が広がる
・1682年 井原西鶴『好色一代男』。浮世草子の始まり
・1685年 近松門左衛門『出世景清』。近世浄瑠璃の始まりとされる
・1689年 松尾芭蕉が曾良と奥の細道の旅に出る(刊行は没後の1702年、京都の井筒屋)
・1703年 近松門左衛門『曽根崎心中』
・1776年 上田秋成『雨月物語』刊行(初稿は1768年)
・1783年 蔦屋重三郎が日本橋通油町に耕書堂を開く
・1791年 山東京伝の作品が摘発され、蔦屋も処罰される(寛政の改革)
・1802年 十返舎一九『東海道中膝栗毛』初編。続編は1822年まで
・1814〜1842年 曲亭馬琴『南総里見八犬伝』
木版印刷と本屋の始まり
16世紀末から17世紀前半には、活字を組んで刷る古活字本が作られた。通説では、文禄の役で朝鮮から持ち帰った銅活字による慶長勅版が始まりとされる。初めは天皇や徳川家康、寺院による出版が中心だったが、嵯峨本のように町人が手がける出版も現れた。しかし活字は刷るたびに組み直す手間がかかり、増刷に向かない。商売として出版が広がると、一枚の板に一丁分を彫る整版(木版)に置き換わった。寛永ごろには木版が主流になり、京都・大坂、続いて江戸で商業出版が活発になった。のちに江戸の出版は京都・大坂をしのぐ。江戸中期からは、学術書を扱う書物問屋と、絵入りの娯楽本(地本)を扱う地本問屋が分かれた。
上方の町人文学 西鶴・芭蕉・近松
17世紀後半の元禄期には、上方(京都・大坂)の町人文化が文学を引っ張った。井原西鶴は大坂の町人で、もとは談林派の俳諧師だった。一昼夜に詠む句数を競う矢数俳諧で、23500句の記録を持つとされる。1682年の『好色一代男』で浮世草子を始め、『日本永代蔵』(1688年)では町人が財を築く道を、『世間胸算用』(1692年)では大晦日の町人の暮らしを描いた。浮世草子は約100年流行し、京都の八文字屋から出た作品は「八文字屋本」と呼ばれた。
松尾芭蕉は伊賀の出身で、1680年に江戸深川に移った。言葉遊びの多かった俳諧を、芸術性の高い蕉風に高めた。1689年に曾良と江戸を発ち、約150日かけて東北・北陸を回った旅を『おくのほそ道』にまとめた。刊行は芭蕉の死後、1702年である。
近松門左衛門は越前の武士の家に生まれ、大坂の竹本座で竹本義太夫と組んで人形浄瑠璃を書いた。『曽根崎心中』(1703年)は、町人社会の義理と人情を描く世話物の代表である。『国性爺合戦』(1715年)は17か月続けて上演された。浄瑠璃の時代物は約90作、世話物は24作とされる。
江戸の版元と職業作家 蔦屋・馬琴・一九
18世紀後半になると、出版の中心は江戸に移る。上田秋成は大坂の人で、国学者でもあった。怪異小説9篇の『雨月物語』(1776年刊)は、後期の読本の代表作である。
蔦屋重三郎は1750年に吉原で生まれ、吉原の案内書である吉原細見の出版から始めた。1783年に日本橋へ進出して耕書堂を開き、黄表紙・洒落本・狂歌本を多く出した。山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九らの作家、喜多川歌麿、東洲斎写楽らの絵師を世に出した。1791年、寛政の改革で山東京伝の作品が摘発され、重三郎も処罰を受けた。以後は学術書に重心を移している。2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公でもある。
十返舎一九は1794年に蔦屋に身を寄せ、翌年、その勧めで黄表紙を出した。『東海道中膝栗毛』は1802年の初編が大当たりし、1822年まで書き継がれた。戯作だけで暮らしを立てた最初期の人物とされる。曲亭馬琴(本名滝沢興邦)は『南総里見八犬伝』を1814年から1842年まで約28年かけて書いた。1839年に失明したあとは、息子の嫁お路が口述を書き取った。八犬伝の成功で原稿料だけでほぼ暮らせるようになり、日本初の専業作家とされる。
貸本屋
本は高価だったため、庶民は買うより借りて読むのがふつうだった。貸本屋は、風呂敷に本を背負って得意先を回る行商が多く、遅くとも天明ごろには庶民の身近な存在になっていた。扱う本は人情本・滑稽本・草双紙から西鶴や馬琴まで幅広い。幕末ごろ、江戸の周辺には約800軒の貸本屋があり、1軒あたり170〜180人ほどの客がいたという。
評価の分かれる点
「日本初の専業作家」を馬琴とするか、一九も含めて考えるかは、資料によって言い方が違う。また、古活字本が朝鮮から持ち帰った活字で始まったというのは通説であり、細部には議論がある。
くらさんの考察
江戸時代の文学を押し上げたのは、作家個人の才能と並んで、版元・貸本屋・読者がつながった仕組みだったと考えられる。木版は板を残しておけば何度でも刷れるため、売れる本を増刷する商売に向いていた。貸本屋は、本を買えない人にも読書を届けた。蔦屋重三郎のように作家や絵師を見いだして売り出す版元は、今の出版社や編集者の原型とみることができる。
ジージへの問いかけ
・蔦屋重三郎のような版元がいなかったら、馬琴や一九は作家になれたと思いますか。
・本を買わずに借りて読む江戸の習慣は、今の図書館や電子書籍の読み放題と似ているでしょうか。
・幕府が出版を取り締まった寛政の改革は、作家たちの書くものをどう変えたと思いますか。
出典
・古活字本(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/古活字本
・埼玉県「企画展『本をめぐる文化-江戸時代の本屋と読者たち-』を開催します」 https://www.pref.saitama.lg.jp/g2214/news/page/news20250116.html
・井原西鶴(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/井原西鶴
・浮世草子(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/浮世草子
・松尾芭蕉(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/松尾芭蕉
・おくのほそ道(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/おくのほそ道
・近松門左衛門(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/近松門左衛門
・上田秋成(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/上田秋成
・蔦屋重三郎(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/蔦屋重三郎
・十返舎一九(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/十返舎一九
・曲亭馬琴(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/曲亭馬琴
・貸本屋(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/貸本屋
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