No.210新着 樋口一葉と『たけくらべ』『にごりえ』(1872〜1896年) 家計を背負った若い女性が、二年足らずで代表作を書き切った
樋口一葉は1872年に東京で生まれ、17歳で父を失って家計を背負い、小説で収入を得ようとして1892年に作家として出発した。1894年12月の『大つごもり』から1896年にかけて『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などを発表し、1896年11月23日に24歳で亡くなった。商いをして暮らした下谷龍泉寺町と、隣に銘酒屋があった本郷丸山福山町が、二つの代表作の舞台に結びついている。
本文と出典
あらまし
樋口一葉(本名は奈津、夏子とも署名した)は、明治の東京で小説を書いた女性作家である。生涯は短く、亡くなったのは数え年で25歳、満年齢では24歳のときだった。代表作の多くは、その最後の二年足らずに集中している。日本大百科全書は、晩年の名作が書かれた期間を「奇蹟の一年」と呼ぶ。
作品の題材は、作者自身の暮らしと深く結びついている。吉原のそばの町の子どもたちを描いた『たけくらべ』は、一葉が商いをして暮らした町が背景にある。銘酒屋(酒を出して客をとる店)の女を描いた『にごりえ』は、のちに住んだ町が舞台である。一葉は、当時の文壇で職業として小説を書いた最初期の女性と位置づけられている。
主なできごと
・1872年 3月25日(新暦5月2日)、東京府の内山下町(現在の千代田区内幸町)に生まれる
・1886年 中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌を学ぶ
・1887年 12月27日、長男の泉太郎が肺結核で亡くなる
・1889年 7月、父の則義が亡くなる。一葉は17歳で家を背負うことになる
・1891年 4月、小説家の半井桃水を訪ねて師事する(1892年6月22日に絶交)
・1892年 3月に『闇桜』(『武蔵野』)、11月に『うもれ木』(『都之花』)を発表する
・1893年 7月、下谷龍泉寺町で雑貨の店を開く
・1894年 5月、本郷区丸山福山町に移る。12月、『大つごもり』を『文學界』に発表する
・1895年 1月から『たけくらべ』の連載が始まる。5月『ゆく雲』、9月『にごりえ』、12月『十三夜』
・1896年 1月に『たけくらべ』の連載が終わる。2月『うらむらさき』(未完)、4月に『たけくらべ』が『文藝倶楽部』に一括掲載される。5月『われから』を発表する
・1896年 11月23日、肺結核で亡くなる(日本大百科全書は粟粒結核と記す)
家計を背負って書き始めるまで
一葉は1886年から歌塾の萩の舎で和歌を学んだ。しかし家の状況は、父と兄を相次いで失って一変する。兄の泉太郎は1887年に、父の則義は1889年に亡くなり、17歳の一葉が母と妹の暮らしを支える立場になった。
和歌では暮らしが立たない。一葉は1891年に半井桃水を訪ねて小説の指導を受け、翌1892年に『闇桜』で文壇に出た。同じ年の『うもれ木』では、はじめて原稿料を受け取った。額は11円50銭である。1893年7月には、小説の収入だけに頼らず、下谷龍泉寺町で雑貨や駄菓子を扱う店を始めた。
商いの町が『たけくらべ』になる
龍泉寺町の店は長く続かず、一葉は1894年5月に本郷の丸山福山町へ移った。短い期間ではあったが、龍泉寺町での暮らしは『たけくらべ』の土台になった。
『たけくらべ』の舞台は、吉原遊廓の裏手にあたる大音寺前の町である。主人公の美登利は14歳で、姉が吉原の遊女をしている。龍華寺の僧侶の子である信如、金貸しの子の正太郎、鳶の頭の子の長吉など、町の子どもたちが夏祭りから酉の市(11月の鷲神社などの市)までの季節を過ごす。物語の終わりで信如は僧の学校に入るため町を去り、美登利はそれまでと違って、他の子とも遊ばなくなる。ある朝、門の内に水仙の造花が差し入れられており、美登利はそれを一輪ざしに飾る。
連載は1895年1月から1896年1月まで、『文學界』に途切れ途切れに載った。1896年4月10日には『文藝倶楽部』第2巻第5号に一括して掲載され、森鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨が『めさまし草』の合評「三人冗語」で取り上げた。この合評では高く評価されたとされる。
銘酒屋の隣で『にごりえ』を書く
『にごりえ』は1895年9月に博文館の『文藝倶楽部』に発表された。舞台は本郷区丸山福山町で、一葉自身が1894年から住んでいた町である。主人公のお力は、銘酒屋「菊の井」の看板となる女で、客の源七との関係が物語の軸になる。源七は妻子と別れ、結末でお力は源七の刃によって死ぬ。
モデルについては、一葉の隣にあった銘酒屋「鈴木亭」の酌婦「お留」だともいわれる。ただし、これは「ともいわれる」という段階の説で、確定した事実としては扱えない。
没後の一葉
一葉は1896年11月23日に亡くなった。博文館の『一葉全集』は1897年1月に出ている。日記は1887年ごろから亡くなる年まで書き継がれ、『一葉日記』として没後に刊行されて高く評価されている。
2004年11月1日発行分から、一葉は五千円紙幣の表の肖像になった。それまでの五千円札の肖像は新渡戸稲造である。
くらさんの考察
『たけくらべ』と『にごりえ』は、どちらも身を売る女と、その周りの町を描いている。一方は子どもの目から、他方は大人の女の暮らしの内側から書かれている。この二つがともに、一葉自身が住んだ町を足場にしているのは、実際に見聞きした場所を書くことが、短い期間でも説得力のある場面を積み上げるのに役立ったからだと考えられる。
『たけくらべ』の子どもたちは、僧侶、金貸し、鳶の頭と、親の職業で町の組に分かれている。商いで町の暮らしを間近に見た経験が、この配置に生きた可能性もある。ただし、一葉の日記や手紙のどの箇所がどの描写につながるかは、今回確かめた資料の範囲では判断できない。
ジージへの問いかけ
・商いで暮らした町と、銘酒屋の隣の町。実際に住んだ場所を書くことで、作品はどれだけ変わったと思いますか。
・『たけくらべ』は鷗外、露伴、緑雨に取り上げられ、高く評価された。作者が亡くなる年にその評価が出たことを、どう考えますか。
・五千円札の肖像になる作家は、ほかにどんな人がふさわしいと思いますか。
出典
・ウィキペディア「樋口一葉」 https://ja.wikipedia.org/wiki/樋口一葉
・ウィキペディア「たけくらべ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/たけくらべ
・ウィキペディア「にごりえ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/にごりえ
・コトバンク「樋口一葉」(日本大百科全書・世界大百科事典など) https://kotobank.jp/word/樋口一葉-17510
動画
・文学アニメーション 「たけくらべ」【一葉記念館】(台東区立一葉記念館)https://www.youtube.com/watch?v=EgzdYgRuY_g
・文学アニメーション 「にごりえ」【一葉記念館】(台東区立一葉記念館)https://www.youtube.com/watch?v=rSk9neg-Jx8
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