純文学と大衆文学
1891年〜現在
No.51新着 純文学と大衆文学の違い(明治〜現在) 「芸術か娯楽か」の線は、誰がどこで引いてきたのか
「純文学」は明治に「学問の文章ではない、美を目指す文学」の意味で使われ始め、大正末に「大衆文芸」が現れてから娯楽の読み物と対になる言葉になった。両者を分けてきたのは、載る雑誌、想定する読者、そして芥川賞と直木賞の分担である。戦後の中間小説以降、線引きは年々あいまいになっている。
1907年〜現在
No.52新着 純文学をめぐる論争(1960年代〜2000年代) 「純文学は終わったのか」と文芸誌の役割
1961年、平野謙が「純文学という概念は歴史的なものにすぎない」と書いたことから純文学論争が起きた。論争は形を変えて1970年代、1990年代末〜2000年代にもくり返され、私小説の伝統や「売れない文学の価値」が問われた。純文学の作品を最初に載せる文芸誌は、部数が細るなかで誌面を作り変えている。