No.205新着 耽美派(明治末〜大正) 自然主義の頂点で、詩人と画家の酒席と三つの雑誌から生まれた一派
耽美派は、美を何よりも上に置く耽美主義を掲げ、自然主義が頂点に達した1909年ごろから現れた一派である。詩人と画家が集った「パンの会」を溜まり場に、雑誌『スバル』『三田文学』、第二次『新思潮』を拠点として、北原白秋、木下杢太郎、永井荷風、谷崎潤一郎らが担った。荷風が谷崎の『刺青』などを推挙したことで谷崎は文壇に出たが、一派としてのまとまりは数年で散った。
本文と出典
あらまし
耽美派は、美を最高の価値とする耽美主義(唯美主義ともいう)を掲げた、明治末から大正初めの文学の一派である。日本大百科全書は、島崎藤村『破戒』(1906年)に始まる自然主義が頂点に達した1909年ごろから耽美主義の文学が現れたとし、雑誌『スバル』『三田文学』、第二次『新思潮』をその拠点に挙げる。担い手は北原白秋、木下杢太郎、永井荷風、谷崎潤一郎らで、理論の土台を与えたのは上田敏と荷風とされる。詩人と画家が集った「パンの会」が、この人たちの溜まり場になった。
主なできごと
・1908年 8月、荷風『あめりか物語』(博文館)。12月、隅田川沿いの西洋料理店「第一やまと」でパンの会の第1回会合。木下杢太郎が筆頭発起人で、白秋、吉井勇、石井柏亭らが加わる
・1909年 1月、『スバル』創刊。3月、荷風『ふらんす物語』が発売と同時に発売禁止。白秋の第一詩集『邪宗門』
・1910年 2月、荷風が森鷗外と上田敏の推薦で慶應義塾文学科の教授になる。5月、『三田文学』創刊(主幹は荷風、顧問は上田敏)。9月、第二次『新思潮』創刊。11月、谷崎『刺青』を同誌に発表
・1911年 3月、第二次『新思潮』が終わる。白秋の第二詩集『思ひ出』。11月、荷風が『三田文学』に「谷崎潤一郎氏の作品」を書く。12月、『刺青』が籾山書店から単行本になる
・1913年 12月、『スバル』廃刊。このころパンの会も終わる
・1916年 赤木桁平が「『遊蕩文学』の撲滅」を書く。3月、荷風が慶應義塾を去る
パンの会という溜まり場
パンの会の名は、ギリシア神話の牧神で享楽の神であるパンから取られ、1894年にベルリンで結成された同名の芸術運動にもちなむとされる。目的は、パリのカフェのように芸術家が集まって語り合う場を東京につくることだった。初めは詩人と、美術同人誌『方寸』の画家たちが中心で、のちに高村光太郎、上田敏、荷風、小山内薫らも顔を出した。
この会の特徴は、雑誌の垣根を越えて人が集まったことにある。『スバル』系の文学者を中心に、『新思潮』『白樺』『三田文学』の同人も同じ席に着いた。谷崎は1910年の会合の様子を、のちに『青春物語』に書いている。会は1910年を過ぎると次第に盛り上がりを欠き、1913年ごろに終わった。
三つの雑誌
『スバル』は1909年1月から1913年12月まで、通巻60冊を出した月刊誌である。森鷗外と与謝野寛、晶子の夫妻が協力し、創刊号の発行人は石川啄木だった。鷗外が『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』を載せ、白秋、杢太郎、吉井勇、高村光太郎らが詩や戯曲を発表した。同人は「スバル派」と呼ばれ、日本大百科全書はこの雑誌を耽美主義の文学が現れたきっかけとする。
『三田文学』は、慶應義塾の文学科の雑誌として1910年5月に生まれた。荷風は主幹として塾生を育て、久保田万太郎、水上瀧太郎、佐藤春夫がここから出た。創刊のころは反自然主義の立場で、耽美派の雑誌として知られた。のちに谷崎の「飆風」を載せた号が発売禁止になったことなどから荷風は大学側と対立し、1916年に慶應義塾を辞めている。
第二次『新思潮』は、谷崎、和辻哲郎、後藤末雄、木村荘太らの同人誌で、1910年9月から翌年3月までの半年ほどで終わった。谷崎は処女作「誕生」のほか、『刺青』『麒麟』をここに載せた。
谷崎の『刺青』と荷風の推挙
『刺青』は、元浮世絵師の彫り師清吉が、駕籠の簾からこぼれた白い足に理想の女を見いだし、麻酔で眠らせた娘の背に女郎蜘蛛を彫る話である。目覚めた娘は魔性の女に変わり、清吉は自分の肥料になったのだと告げる。美のために男が女に従うという筋立ては、この短編ですでに形をとっている。
同人誌に出た新人を文壇に押し上げたのは荷風だった。荷風はパンの会で谷崎を知り、1911年11月の『三田文学』に「谷崎潤一郎氏の作品」を書いた。日本大百科全書によれば、荷風はそこで谷崎文学の特質を三つ挙げた。肉体の恐怖から生じる神秘と幽玄、都会的であること、文章が完全であることである。谷崎はこの年『少年』『幇間』『秘密』などを続けて発表しており、荷風の激賞を受けて文壇での地位が固まった。
担い手たちのその後
一派としてのまとまりは長く続かず、担い手はそれぞれの道へ進んだ。白秋は『邪宗門』の官能的で唯美的な象徴詩で知られたが、1918年に鈴木三重吉の勧めで『赤い鳥』の童謡欄を受け持ち、口語の歌う詩へ移った。杢太郎は本名を太田正雄という医学者で、東京帝国大学の皮膚科の教授を務める一方、南蛮や切支丹に材を取った詩や戯曲『和泉屋染物店』を書いた。春夫は荷風を慕って慶應に入り、『スバル』『三田文学』に詩を出して世に出たのち、『殉情詩集』(1921年)などを書いた。谷崎は1965年に亡くなるまで書き続け、初期の作風は「悪魔主義」とも呼ばれた。
「耽美」という言葉のその後
「耽美」の語は、文学史の外でも使われるようになった。1978年10月に『COMIC JUN』(のちの『JUNE』)が創刊され、女性向けの男性同士の恋愛を描く作品が増えた初期、書店にはこの分野の棚として「耽美」の札が付けられた。同人作家の間ではそれ以前から「お耽美」という呼び方があったとされ、その想定に森茉莉の美少年と美青年の恋愛ものを挙げる推測もある。「ボーイズラブ」の確認できる初出は1991年12月創刊の『イマージュ』とされ、1994年ごろからこの名が分野を指す言葉として共有された。
評価の分かれる点
耽美派は自然主義に反発して生まれたと説明されることが多い。これに対し日本大百科全書(大久保典夫執筆)は、両者を決定的に対立させるのは誤りで、耽美派は自然主義の行き詰まりから来た退廃化と歩調を合わせていたとする。当時から批判もあり、1916年には赤木桁平が享楽に流れる作品を「遊蕩文学」と呼んで攻撃した。どこまでを耽美派の系譜に含めるかも一致していない。日本大百科全書は芸術至上主義の流れを芥川龍之介、川端康成、太宰治、三島由紀夫へつなぎ、ウィキペディアは泉鏡花や江戸川乱歩も耽美主義の作家に挙げる。
くらさんの考察
事典の記述を並べると、耽美派は綱領を掲げた結社というより、雑誌と酒席でつながった人の集まりとして描かれている。パンの会は5年ほど、第二次『新思潮』は半年ほどで終わり、白秋は童謡へ、杢太郎は医学の道へ進んだ。それでも「耽美派」が文学史の項目として残っているのは、荷風の推挙で出た谷崎が半世紀以上書き続け、後の時代から振り返るときの軸になったためと考えられる。1970年代の「お耽美」が明治の耽美派をどこまで意識していたかは、美を倫理より上に置くという言葉の含みが受け継がれた可能性はあるものの、両者を直接結ぶ資料はくらさんの調べた範囲では見つからなかった。
ジージへの問いかけ
・同じ1910年に生まれた『白樺』と『三田文学』が、どちらも「反自然主義」とまとめられることに、違和感はありますか。
・荷風の推挙がなかったら、谷崎は耽美派の作家として記憶されたと思いますか。
・一派が5年ほどで散っても「耽美派」の名が残るのは、人の集まりによるものでしょうか、それとも作風によるものでしょうか。
出典
・コトバンク「耽美主義」(日本大百科全書〔大久保典夫〕、デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典ほか) https://kotobank.jp/word/%E8%80%BD%E7%BE%8E%E4%B8%BB%E7%BE%A9-95445
・ウィキペディア「耽美主義」 https://ja.wikipedia.org/wiki/耽美主義
・ウィキペディア「パンの会」 https://ja.wikipedia.org/wiki/パンの会
・ウィキペディア「スバル (文芸雑誌)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/スバル_(文芸雑誌)
・ウィキペディア「三田文学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/三田文学
・ウィキペディア「新思潮」 https://ja.wikipedia.org/wiki/新思潮
・ウィキペディア「刺青 (小説)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/刺青_(小説)
・ウィキペディア「永井荷風」 https://ja.wikipedia.org/wiki/永井荷風
・ウィキペディア「谷崎潤一郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/谷崎潤一郎
・ウィキペディア「北原白秋」 https://ja.wikipedia.org/wiki/北原白秋
・ウィキペディア「木下杢太郎」 https://ja.wikipedia.org/wiki/木下杢太郎
・ウィキペディア「佐藤春夫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤春夫
・ウィキペディア「ボーイズラブ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ボーイズラブ
動画
・【日本史・文化史 44】大正文化③「文学」(白樺派・新思潮派・耽美派・新感覚派・プロレタリア文学など)「演劇」「音楽」「美術」(地歴公民 講義録)https://www.youtube.com/watch?v=VBBYgu6mfXU
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